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幸せになりたいなぁって思うのは誰にもとって当たり前ですが、私の場合そうでもなくて。
もちろん不幸になりたくはないのだけど、周りの人がみんな笑って幸せならば私は満足なのであって、私自身の幸せってそれより後に考えちゃう。自分の幸せが願えないのってなんか悲しいんだけど、それが当たり前になっているところはあった。私は感情を読むのは割りと得意なようで、他人に気を使ってしまうんですよね。こうしたら傷つかないかなとか、こういうふうにいったらうまく収まるなとか。その判断に、自分だけの利益なんてどうでもいい。
転機は昨年の出来事。私は追い込まれてすごく落ち込んでしまって、別にほっといてくれてもよかったのに、周りがすごくサポートしてくれた。結果としてはみんなが痛み分け。私が1人泣いてまるく収まるわけではなく、周りも幸せにしようとすると私も幸せにならなきゃいけないんだなぁって気付けた。心の傷も深かったけど、最近やっと肩の力が抜けてきて、自分の幸せ考えないととちゃんと思えるようになったのは、成長なんですね、きっと。回復に1年弱か。まぁ想定通りですな。自分のことは自分が1番わかってるつもり。
窮地に追い込まれて必死になって、自分の弱さは否定するのではなく認めてやって、自分のやりたいと思えることのために焦点を絞って実現のためにただ1つの夢に向かう。そうすれば人間強くなっていくんだと思う。私より大きな挫折を味わうことなく生きてきた人は見てて理屈じゃなくてなんとなく直感でわかることがある。考え方を生ぬるく感じる。それは駄目なことではなくて、個性として認めるべきもの。
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